プロフィール

坂本 広地(さかもと こうち)
ロボコム株式会社 (株式会社メイテックより派遣)

4人兄弟の次男として、横浜に生まれる。実家は、建築金物取付の自営業を営んでいたため、幼少の頃からものづくりが身近で、進学先も国立東京工業高等専門学校 機械工学科へ。高専を卒業後、商用車の設計会社に就職し、その後メイテックへ転職して半導体製造装置、医療機器、排水処理装置の設計開発業務を経て、2017年10月からロボコムへ。車とバイクが好き。16歳の誕生日を迎えるとすぐにバイクの免許を取り、仲間と峠を攻めていた。それが高じて、Hondaのレーサーレプリカの「NSR」をサーキットに持ち込んでレースをするように。学生時代の新聞配達のアルバイト代は、ガソリンとタイヤに消えていた。今は125ccのバイクをたまに引っ張り出して夜風にあたりにいくという楽しみ方。車はルノー「ルーテシア」。

夢は「車屋さん」と言っていた保育園児は、
溶接ができる小学生に。

父が、マンションの手すりや外壁パネルの取付などを行う建築金物取付の自営業を営んでいたため、小学生の頃から鉄パイプを高速カッターで切る、溶接をする、ペンキを塗るといった手伝いをしていました。すぐ身近に、リアルな「ものづくり」がある環境に育ったので、自分もその道に進むのだろうと、ごく自然に思っていました。もう一つ、エンジニアになるきっかけになったのは車です。通っていた保育園の目の前に自動車の修理工場があって、今からすると貴重なオート三輪やコスモスポーツを目にすることが多かったんです。外で遊ぶ時間に、園庭の柵越しに向かいの車をずうっと見ていたので、保育士の先生が心配して、「広地くんが、柵の外を見たきり動かないんですけど、大丈夫ですか?」と母に相談したようです。それを聞いた母は「好きにさせておいてください。どうせ頑固者だから言うこと聞かないし」と、気にしていなかったそうですよ(笑)。その頃から、「大きくなったら何になるの?」と聞かれたら、お花屋さん、お肉屋さんの感覚で「車屋さんになりたい」と言っていたようです。ものづくり、さらには自動車に関わる仕事をするという気持ちが強くあって、他の仕事は思い浮かびませんでした。

業界を渡り歩き、
人と関わるエンジニアへ。

高専を出て、まずは大手自動車メーカーの設計子会社で、トラックの設計に関わりました。仕事は面白く、走行音で車種を当てる“聞き(利き)トラック”もできたんですよ(笑)。ただ、車以外も設計したいと考えるようになり、また、自動車業界の好不況の波も体感したため、エンジニアとしてさまざまな製造業の設計・開発業務に携わることのできるメイテックへ移りました。半導体製造装置、医療機器、排水処理装置の3社3業界を渡り歩き、中でも、排水処理装置の会社では、クレーム対応をする部署で、人と関わりながら課題解決していく仕事の醍醐味を味わいました。現在の設計者は、通常ではユーザーの声を聞く機会は非常に少なくなっていますが、クレーム対応ではダイレクトにお客様の声が聞けます。たとえば、故障した製品が設計者の意図と違う使われ方がされていたケースがありました。元をたどると販売時点での営業説明に問題があったことが判り、販売フローから見直したことで、ユーザーからも営業からも感謝された事がありました。エンジニアの仕事は、製品が普通に動くのが当たり前で、面と向かって褒められることはほとんどありませんが、お客様の抱える問題を解決したときは、本当に喜んでいただけます。この会社での仕事を終え、次の仕事も、ぜひユーザーと関わる仕事がしたいと思い、選んだのがロボコム。プランニングから入るので必然的にユーザーと関わりが持てますし、ソリューションが形になれば必ずお客様に喜んでもらえる、そう思ったんです。

15年やってきて、
まだこんなに苦労できるのか。

業界が変わると、ものの見方も変わります。たとえば、全長12mのトラックなら許容される誤差は3cm程度ありますが、半導体での誤差はミクロの世界。そういう点でとまどいはありましたが、ものづくりの原理原則はどんな業界でも変わりません。それを心の拠りどころにしてきたのですが…。ロボコムの「構想設計」の仕事では、そこすらも覆りそうです(笑)。これまでは図面を描いて製品をつくって、自分自身もものづくりの一員として製品に触れていました。一方、「構想設計」は、図面や製品よりもう一段上の話で、「そもそも何でこういうかたちにしたんだっけ?」というところを決める仕事。ですから、「木を見て森を見ず」にならないように、広い視野で森を見渡して、お客様が求めているエリアはここだと見定めて、そこをつかみ出して提案するという、ものの考え方が求められます。正直、エンジニアを15年やってきて、「まだこんなに苦労できる仕事が世の中には転がっているのか」と再認識している毎日です。天野社長からは、「それって全部、伸びしろだよね」なんて言われています(笑)。ロボコムに集まってくる案件は、どのエンジニアも経験したことがない案件が多い。私がそう感じているということは、お客様はもっと困っている。それを一つ一つ、お客様といっしょに解決していくのは、とてもやりがいがありますね。

一人でジグソーパズルより、
みんなでジェンガしたい。

今後もエンジニアとして生きていきたいと思っています。エンジニアは、あまりしゃべらずに黙々と仕事をする方が多いように感じます。もちろん、人によってスタイルがあるので、それはそれで良いのですが、私の目指すエンジニア像は、人と関わりながらソリューションを提供するというものです。これまでにも、私一人の力の限界を認識して、人と協力しながら何かを成し遂げるという経験をしてきました。一人のエンジニアが提供できるソリューションには限界がありますから、複数のエンジニアのソリューションを組み合わせ、限界を突破していくことにやりがいを感じています。私はメイテックという外部の会社から来ており、複数の大きい組織の現場を渡り歩いてきたから如実に感じるのですが、ロボコムは私の目から見てもダントツで判断のスピードが速く、会社としての動きも速い。こちらには組織が小さいことの良さがあります。お客様が困っているなら一刻も早く取り掛かる。つまずいている箇所があれば、(株)オフィスエフエイ・コムの飯野社長はじめ経営層の方々も一丸となり、肩書きに関係なく相談に乗ってくれるような、エネルギーがあふれるダイナミックな集団です。今は、この現場で、一人で黙々とジグソーパズルをするよりも、みんなでジェンガをするようなエンジニアでいたいと思っていますし、さまざまな人とネットワークを築きながら仕事をする経験は、この先も活きてくると思います。

妻と娘、息子がおり、平日はあまり接することができないので、週末には、意識的に接点をもつようにしています。最近は、娘がバスケットボール部(以下、バスケ部)に入ってくれたので、近くの公園で練習するのが楽しみです。私が中学、高専とバスケをやっていたので、ぜひ入ってほしかったのですが、娘は「親父がいろいろうるさそう」と察したのか、「バスケ部だけはいかない!」と言われてしまって…。でも、いざ部活を選ぶ段階になると、「顧問の先生が恐いからここは…」、「ガラが悪い先輩がいるから他の部に…」と、いろいろ天秤にかけて、消去法でバスケ部に入ってくれました。部活は毎日ありますからね。「たまに親父が口を出すくらいならいいか」と娘も思ったんでしょう(笑)。